「寡黙に、地道に、匿名で」 和田 純
本書の主役、楠田實は、旧態依然とした保守政治の真っただなかで、政治と知的社会とをつないでブレーン集団を組織し、政治に理念と叡知を求め続けた草分けである。政治家でも、イデオローグでも、政治ゴロでもない。〝功成リ名アゲル〟ことに汲々とせず、寡黙に知的な献策を重ねた政治ブレーンで、身銭を切ってでも「知の遊水池」を主宰し、叡知にもとづく政治の実現を目指したカタリストである。その原動力を楠田は「匿名への情熱」と呼んだ。
楠田は極貧のなかで育ち、一四歳までに両親を失っている。自活し教育を受けたい一心で少年戦車兵となったが、戦闘で小指を吹き飛ばされ、捕虜にもなった。戦後は苦学し、大学を終えたときは二七歳である。その人生の原点には、「戦争を二度と繰り返してはならない。平和で豊かな社会の実現こそが最重要」との信念が深く刻み込まれていた。
新聞記者となった楠田は、ケネディ政権と出会い、知的政治ブレーンの重要性に目覚める。そして、自らがブレーンとなって、佐藤栄作政権の樹立を目指す「Sオペ(佐藤オペレーション)」に乗り出した。そのまま佐藤政権の首席総理秘書官に就任し、総理演説のすべてを起草して、七年半という長期政権を支えた。世界第二位の経済大国となりながらも、ベトナム戦争、沖縄返還、非核三原則、公害、大学紛争、万博と激動が続いた時代である。
こうした流れのなかで楠田の仲間となったのが、現実主義者の気鋭の知識人だった。梅棹忠夫、高坂正堯、若泉敬、山崎正和、京極純一、江藤淳、中嶋嶺雄、永井陽之助といった人びとである。革新が優勢で、保守への批判が止まなかった時代に、楠田はゼロから人脈を開拓し、やがて政治の〝言力〟を紡ぐ「知の遊水池」を生み出すことになった。
その後、楠田は政治事務所を構えて、福田赳夫政権では内閣官房調査員(今でいえば総理補佐官)となって「Fオペ」を進め、安倍晋太郎の政権樹立を目指して「Aオペ」も稼働させた。のみならず、その知的献策は派閥を超えて竹下登政権、宮澤喜一政権などにも及び、グローバルな知的交流にもつながった。その過程で、「知の遊水池」は黒川紀章、宮崎勇、公文俊平、野口悠紀雄、粕谷一希、萩原延壽、山本正、下河辺淳、袴田茂樹、五百旗頭真らへと広がり、世代交代していく。本書の人名索引は八〇〇名を超えるが、楠田が築いた人脈からは、戦後日本の一つの思想系譜を垣間見ることができる。
楠田が貫いた信念は「当面の政策や政局に追われるだけでは政治とは呼べない。望ましい国家像を提示し、新たな文明を創造してこそ、政治は〝本物〟となる」というものである。使命としたのは「戦争体験を原点に平和を希求し、国粋的に右旋回せず、社会主義的に左旋回もせず、国際感覚を備えた開明的で現実主義の中道保守」の確立だった。
本書では、実証的にその足跡を追いながら、同時に、「読み物」として心に響くものを目指した。コラムニストの橋本五郎氏には「楠田という稀有の知的ブレーンの心のひだにまで分け入っている」(「五郎ワールド」『読売新聞』二〇二五年一〇月四日)と評していただいた。また、政治学者の御厨貴氏には「政治に手入れをした者の伝記的物語の展開が、戦後政治史のさらなる沃土(よくど)を開拓する可能性を生む」「実証的でありつつ、時に楠田の内面にぐいぐいと迫り、時に遠目に見るスコープをとる。大著だが、読む者を飽きさせないのは、この楠田への距離感の取り方の見事さにある」(『朝日新聞』二〇二五年一〇月一八日)と評していただいた。著者として冥利に尽きる思いがする。